昭和43年12月10日 月次祭
「 ? 」に会った時に私共は玄関に着いておりました。本当にあのお参りをしてくる方達の、あの気分というかね、あのお祭の雰囲気が流れてくるというか。もう何とも言えん気持ですね、皆さんはそれを実感しておられる訳なんです。私共はこちらの方ですから。あれだけでもですねやはり信心ちゃ有り難いなと、皆さん思われるだろうと思うのですよね。琴の音が流れてくるそして先生方がこうしてお祭りを奉仕される。
月に4回の、お月次祭に、皆さんが心を込めてお礼をなさる。ね、そのお礼をなさるという事、それがどういうような結果にならなければならないか。今度、報徳祭。その報徳祭のごひれいを頂いて、ここでも、この16日に報徳祭が行われます。この度は三代金光様の、5年の式年祭も合わせてございました。もう大変なお参りでしたが、もうあの広い会堂が、もう立錐の余地も無いほどに、秋永先生と話しました。
本当にどこから、集まって来るか分からんけれど、これだけの人が集まってくる。もう本当に有り難いですなあと言うて。それかと言うて、なら教会が上げて、あのお祭を拝ませてもらうかと言うとそうじゃない。教会であるけれども、お参りがあっている、久留米地区からでもそうですが、あってる所もありゃ、お参りをしてない教会すらある。まあ三々五々でも参っとりゃ良か方であって。
先生がお一人、お参りになっておるという、ほとんどである。それでいてですね、あのう日のお祭ではありますけれども、あの会堂が、立錐の余地もないように埋まる、有り難い。四神金光様、三代金光様のお徳だなあと思うのです。ね、本当に今度九州中から合楽のように、こう班別でもして、旗でも立てて行っとる所は、おそらく九州では合楽だけでございました。
もう旗が必要でないほどなんです、ね。紙が立たん大きな教会、会堂に入ります何軒か、あっちこっち旗が立ってますけれども、それだけでも合楽は御神意に添わせて頂きよるなあと思うのです。これは私共の願いなのですけれども、皆さんがいつも言うておられますように、私が申しましておりますように、ね、小倉の初代あって私共が、信心があるのでございますが。小倉の初代がそれこそ命をかけてのこのお祭だった。
四神金光様あっての小倉だ。ね、それを桂先生が残されて、そしてそれを二代の奥様に御継ぎになった。その頃、教団で色んな良くない雰囲気が大変生まれて参りまして、三代金光様の御結界の中心に行くと言うか、御長男の方の側が中心に行くかと。だからその当時三代金光様は、副、大教会長の副教会長でおありになった。その時代でございましたからその、本部の方から小倉へですね、その使者が見えました。
九州の者はね、生神四神「つらゆきの君」と言うて、四神様のお名前を、四神金光様と言うて、お参りをする。ね、あれは間違いだ。教祖生神金光大神だけで良いって。これからは、四神金光大臣様を、お唱えしないように、しなければいけないと言うて、きついお達しが参りました。それを、やっぱむかえ打たれるように桂先生が、もう自分のごつ言うておられます。
その本部の偉い先生に向かってですね、先生、貴方はこの、ね、九州小倉にお出でられたのは桂松平のお広前とご承知でお出でられたかと言われたそうです。桂松平のお広前と思うて来られたかと。ね、桂松平の信心は二代様四神金光様なくしては、九州の道は広がっておりません。大恩人の四神様の、ね、御神名をお唱えして、もし首を切られるなら首を切られましょうと仰ったて。
もう二言となかったという事でございます。というほどに四神様をお大事になさったのが九州の信心であり、桂先生だったんです。当時はこの四神様のお祭りて、久留米から千人参りじゃった。もちろん桂先生がもう、すべてのお供えもんから何かっていう物は全部、尾道にいっぺん下車されて。尾道で、もうこれ、きれいな箱を設えてお出でられて、それにお供えもんの一切を買い止められて。
そして本部で御餅を、お鏡をつかれて、そして本部の先生方にお願いをして四神金光様のお祭報徳祭をお仕えになったと。その四神様のお祭を最近は報徳祭と言うて沢山のこの、布教功労者の方達の、まあ慰霊祭のようになっておりますけれども、実を言うたら四神金光様のお祭である。同じ時に、私共にとっては三代金光様のお祭。四神様と三代金光様の御大祭なのである。ね、
ですから例えば御大祭に50人お参りをするならば、やはり四神金光様の御大際にも50人お参りしなければならないと言うのが、私の願いなの。ですから合楽では四神様の御大祭だからと言うて人数が減るような事がないですね。これは私の願いだからなんです、ね。もういつもの事でございますけれども、今度の御本部参拝でも、もう本当のもう有り難い、有り難いその、もう言葉には尽くされません。
その言葉には言われません、ほどのおかげを様々な形、または内容を頂いて帰りました。只今、若先生がお話し申しておりました。私も素晴らしい事をお話してるなと思うて聞かせてもらったんです、ね。本当に世界は合理的、ね、常識的なものに、もう宗教ですらが合理的でなからなければ、もうそれを低級な宗教だと言うような言い方をするようになるまで変貌しておったんですね。それを最近はですね、
その宗教関係ではないところから、そういう働きが起きておるということ。ね、ここにはもっと、もっとその向こうに大きな世界があるんだと。そういうような事を、例えば感じつかれて、まあその自然主義的な生き方をその、いわゆる世界が大きく変貌するであろうと言われておる、そういう在り方の私は合楽が一つ先駆させてもらわなければならないという事を思うのです。
合楽では合理的な話はいたしません。常識的なお話しは致しません。どこまでも超常識であり、超合理的なのです。そういう超合理的なおかげの世界が、世界に顕現されなければならない。教祖様はそういう道を教えておって下さったんです。だから人間の知恵やら力ではいけない。久富さん、久富繁雄さんが今度の御本部参拝される時、家を出られる時に、奥さんが、貴方はこの前も親先生にかえってお世話になって帰って来なさったから、今度だけは一つ本気で頑張って来て下さいよと。
親先生にお手間とるような事をせっかく貴方がじかに御用なさるのだから、今度はもうそげな事っちゃいけませんよ、ち言うて、それこそまあその、激励の言葉を受けてから参りましたとこう言われます。まあ、行きがけは、まあまあでしたけど、帰りがけには少し、こう弱れた感じで、まあおかげを頂いて。それでもまあ有り難い事ですよね。ああいう指定席の、しかもあの、4人一枡ところへですね。
あの、私共おかげ頂いて参りましたんですね。もう、しかも誰にその気兼ねもいらん所です、もう車掌さんの許しを頂いてるんですからね。ほれで、まあずっと休んで来られましたから、まあおかげで大した事もなしに、こっちへつかれてからお元気になっておられるようでございますけれども。その事をお詫びさせて頂きよられたらです、御心眼に自転車に乗って行きよるところを頂かれました。ね、
自分が御用する、自分がさせてもらう、自分がするという、自分で踏もうとする、それが間違えなのだ。ね、いわゆるこれは常識的な考えから。ね、いわゆる神様のおかげでさせてもらうという事は、これはもう超常識なんです、ね。それを分からん人は、神様、神様、棚からぼた餅ばし、あえるごとと言うけれどもです、そこんところをおかげを頂かにゃいけません。
今度あちらに参りましてから、何時もとは違ったケースでしたあの参拝が。もうあの、汽車から下りましてすぐ御本部の方へ参りました。あの宿の方へ行きませずにですね、もう皆さんは宿へ行かれる。さあ所が御霊地の方へ参りましたらもう、丁度4時の御祈念があって、金光様の御祈念を頂いておる時でございますから、もうそれこそ一人でも入られんぐらいに、もう外の回廊まで一杯人がおると言う様な状態でした。
ほれで荷物は私共はあの、控えに置かせて頂きましてから第一奥城に参りました。奥城も一杯でしたけれども皆揃うてする頃には、いつもの私の御祈念の座がこう開きましたから座らせて頂いた。待つ事しばし致しておりましたら学院生の方達が全部終わって、それであそこへ参りました。それで私共が座っておるところをこうあの、立たせて頂こうと申しましたら、いいえそのまま結構ですとこう言われる。ですからあの沢山の方達の中心の御祈念を私がさせて頂いた。
こちらに繁雄さんがおられこちらに秋永先生。そして合楽の者がおってその周囲に本部、あの本部の御祈念を終えられた方達が学院生を中心にしていっぱい、もうそれこそ大変な御祈念でした。ね、それからまた私共は合楽は合楽の者でまた後で御祈念をさせて頂いたんですけれどもそう言う様な事は、まあ何時もの事でございますけども、もう本当に何と言うていいか。それこそ言葉には言い現せないほどのおかげ。
有り難く頂いて帰ればおかげは船にも車にも積めぬほどの神徳があると、ね。と仰せられますように、私は神徳を感じて参りました。御本部に参りまして、あの皆さんの真心のお供えをまとめて、それを390名でした。その分を奉らせて頂きました。お礼を申させて頂いてからお礼させて頂いておりましたら、私のあのお初穂には、お初穂と書いてこう括ってあります。それに奉るという字が大きく書いてあって。
それを反対に書いてあるところを御心眼に頂きました。いわゆる奉るは普通こう書きますよね、お初穂の用紙にこう書いてある。あれが反対に書いてあるいわゆる神様の方を向いておるちいう訳です。ね、神様が受けて下さったと私は思うたです。こっちをこっちの方を向いとらんです神様の方を向いとる。はあ皆さんのその真心をです、神様が受けて下さったと。皆さん本当にお供えは真心込めなければいけませんですね。
皆さんの心の中にはですね、まあ言うならばですよ、ね。沢山の旅費を使うてから百円か二百円のお初穂。まあ、言うならね、というような人もあろうけれどもです。それを私が一括して、水引をかけて、ね、私の信心でお供えをさせて頂く時に、それが全部神様が受けて下さるという事になったんだと私は思うた。皆さんの一人一人の真心であると思われない。お初穂ですよ、お初穂ですよと言うてもう、もうその日までも持って来ないという人がある、ね。
そしてもうお初穂というてももう百円均一のごと思うとるような人達もある。そういう事でだいたいはおかげの頂けれるハズはないて。そこんところにお取次ぎの徳というのがあると思うんですね。それを一括して私が水引かけて、私のいわば頂いた物として、私がこれに不浄も汚れもない、お粗末御無礼があるところはお詫びさせて頂いてお供えをさせて頂いた、それを神様は受けて下さったという感じであった。
もう若先生が、私がこうやって回りの人が、親先生あなたが説教して下さいとこう言う訳ですけど。せっかくアンタが、だからアンタが一口お話させて頂いて、後は私がご挨拶だけさせて頂こうと。とりあえず時間が、充分にございましたから、まあ聞いて頂いておる訳でございますけれども。それで教典を、何を話させて頂こうかと思うてから、教典を開かせて頂いた。そしたら御理解33節を頂きます、御理解33節。
覚えておって下さいね、短い御理解ですから。御理解33節、お供え物とおかげはつきものではないとこう。お供えをしたからおかげがつきものじゃない。お供えっていう物は、いわば庭のチリまでも真心が込もっとりゃいいんだと、ね。お供えしなければ助からんというような事ではない。お供え物と、ね、おかげはつきものではないと仰っておられる。ね、ところが今日、私が頂きましたのはですね、お供え物と、ね、おかげはつきものではないけれども、ね。
お徳とはつきものだという事でございます。お徳とは繋がっておるんです、これは大変な御理解だと思いますね皆さん。お供え物はおかげとはつきものじゃないけれども、お徳とは繋がっておると。問題はお徳を頂きたい、お徳を頂かなければ超合理的である、超常識と、超常識といったようなものは分かりません、ね。してみると、なるほど御本部のお供えなんかでもです。
皆さんが何げなしにただお供えするだけ。ただおことづけするだけでいいと思うておられるけれどもです、ね、今日私が、ね、、やっぱ今朝ですね。奉るを、ね、私はお初穂と書いてあったんですけども、心眼にはそれが奉ると書いてあって、反対に書いてある。神様が受けて下さったんだ。これはそのまま、百円のお供えをした人は百円のお徳を受けておると私は思うです。
おかげとはつきものじゃない、けれどもお徳とはつきものなんだ。ね、ここんところが私は教祖の御教えのその深さというものをね、いわゆる言外の言、言葉、言うておられる言葉のまひとつ向こうに、もっともっと素晴らしいものがあるという事を、いつの場合でも感じする、感じるんですけども、ここんところ一つ分からにゃいけないところですよね。そこで私は思うのにです。
せっかく例えばこうやって沢山の時間をお供えなさっておられるです。お参りをしておられる、時間をお供えしておられる。何がしかのお賽銭であり、何がしかのお初穂をお供えしておられるならばです、それが思いが込められておらなければいけないなと思いますね。不浄がある、御無礼がある。自分の汚い心が伴うておるならばです、ここんところしっかりお詫びしなければいけないと思うですね。
なぜ皆さん、お供えがお徳になると思われますか、ね。私共は生きていく為には、これはこの世はもう金の世だとさえ言う人がありますから。なるほどお金がなからなきゃ生きていけませんわな。お米がなからなければ生きて行けませんわね、着物がなかったら生きて行かれんのです。何がのうても、言うなればそれは私共の命なのだと。ね、お米は私共の命の根なのだと、命なのだ、ね。
その言うならば命をお供えしておるのですから、なるほどこれならお徳になるだろうと思います。言うなら自分の命を削っておるのです。そういう私は意味合いでです、おかげを頂かなければいけない。お供え物とおかげはつきものではない。だからこういうのは、私は命じゃないと思うですね。もうそこに、おかげを頂くからという条件なんですから。ね、いわゆるもう当てがある。これでは真心ではないですよね。
どれだけの例えばお供えが出けてもです、おかげを頂く為にお供えするのであったらいけない。神様に自分の思いの丈をです、真心を持ってお供えをする。だから、これだけお供えしたけん、これだけ下さいといった、そこんところが、お供えとつきものではないと、こう仰るんです。そりゃそうです。けれども、それが私共がどうでもお徳に繋がらなければいけないと思うのです。お徳と繋がる、お徳を頂きませんと、ね。
今日若先生が申しておりました、超合理的と、ね、超常識と。結局、合理的になり、常識的になって、それでは新たな世界が顕現されて参りません。私共一家の上にも、ね、本当に夢にも思わなかったというようなおかげに展開して参りません、ね。いよいよ16日の御大祭も、ね、もうここ5日間ですか、ね。いわゆる、只今私が申しましたような、四神金光様のお徳によって九州に道が開けた。
それを下受けに桂先生がお受けられ、ね。そして福岡が久留米が。そして、私に言うなら三井教会がある。ね、それを受けて受けて受けぬかれた、ね。今日控えに古川先生親子が私共を訪ねて下さいました。もう八十いくつになるご老体です。いわゆるあの、古川、教祖様の奥様のお里でございます。あの四十二の大患の時に、ね、あの、あの神様に、この家の主人に限ってご無礼はありませんと仰ったあの方なんです、ね。
その古川八百蔵さんから、三代目のお方です。ね、大変有名な先生ですその方が親子、私共を訪ねて下さいました。そして四神様の事桂先生の事、久留米の初代石橋先生の事を、ちょっとの時間ではございましたけれども、色々とお話をして下さいました。本当にあの時分に石橋先生がおられた時分には、この控え所が出来た時分の事を彷彿と、ここに何十年ぶりに来たち言われるんです、あの控えにその時分の事を思うて。
あの時分の、いわば九州の勢いちゃ大したもんじゃったですよ。大した事でございましたがね、四神様のお祭、報徳祭と言や、それこそ九州から千人参りがあっておったほどしのおかげを受けておったのが、現在では、もう本当にわずか。もう久留米地区だけでも、合楽が行っておらなければ団体が出来ないんです。ね、と言うように例えば寂しい事になってきた。けれども古川先生、私は思います。
本当もう桂先生の願い、思いをです、私が一つ受け継がせて頂いて、私がです、ここにもう一度昔のお道の信心、九州の信心が素晴らしいと皆に言われたような信心をね、おかげ頂かせて頂きたいと一生懸命願うておりますという意味の事を申させて頂いたんですけれども、ね。その古川先生が、今度16日のこの報徳祭に御夫婦でお見え頂く、まあようになっております。ご老体の事ですから分かりませんけれども、そのように、まあお話して下さいました。
ね、その事までに、そこまで話が至りますのに、まで、もうそれは、もう神様の御演出と言うか、お働きと言うか。はあなるほど、今日はなるほど奥城に先にお参りしなければならなかった理由が初めて分からせてもらいました。(夜具所?)に控えて来とったんじゃいけなかった事がよう分かりました。もうそれはそれは、何ともかんとも言えん、そういうお働きの中にですね。
今度の報徳祭を頂いて参りましたが、そのごひれいを頂いて今度の16日にはいよいよ、ね、教祖様の御大祭。そして四神様の御大祭と言やあ、格が落ちるように言うような人もありますけれども、只今申しますようにここでは、ね、例えば御本部参拝でも、数で人数の上においてもそれが落ちるような事があってはならないというのが私の信条。ですから、皆さん達もこの16日の四神様の御大祭。
これはもう、おそらくは日本中で一番でございましょう、16日に報徳祭がございますのは。もうどこも、もう来年です、どこも報徳祭というのは。私はそうじゃない、もう御本部で10月で仕えられるお祭は私も10月に仕えなきゃならない。そすと、教祖大祭でもそうです、ね。四神様の報徳祭、それは言うならばですね、お祭としてはもうふた月前に御大祭しとるけんで、まあ大事と言いや大事なんです。
けれどもそんな事なんか問題にしちゃならない。四神様の御大祭が10月の10日に決まっとるなら、家は10月の16日に私は奉仕させて頂こうという、それもやはり私の心の現れなんです。ね、そういう意味合いの深いいわば私共には切っても切れる事の出来ない、とりわけ三代金光様の御信心、ね、三代金光様なしに私はありません。ね、善導寺の親先生と私が、もう愈々修行たけなわに、もう愈々何をしてもいけない。
そこでこれは金光様にどげんしたが良かかお伺いしようと親先生が言うて下さった。そこで、ある御本部参拝の時にその事を金光様にお取次ぎを願うて頂きましたら、ね。金光様が、ね、お道の教師になられたら結構ですとお言葉下さった。その時に私の腹が決まった。それは20年、21年ぐらい前になりますでしょうか。ね、ですからこの例えばここが教会のような働きになって19年ですかね、の間に様々な事があった。
もう色んな事があったけれども、もうこれが私の心の中にいつもです、私の信心の支えであった。私が誰が、誰が何と言うても教師にならなければならないのだと。ね、ある時に、私は体を悪くしてから椛目の一番初めの時に出来た、年寄り達がおった部屋に休んでおった。そしたら私、急に大声出して泣き出したもんですから、こっちにおりましたら母がビックリしてから、その私に起こしに来た。
その夢の中で私が感極まって、その声上げて泣きよるとです。どうしたか、どうしたかと言うてやってきた。もうそれこそ亡きじゃくになりながら私が母に申しました。今金光様がお見えられた。三代金光様がお見られて、私の前に手をつかれたから泣きよったんです。私はあの辺に、あそこちょうど日吉さんあたりが、堤さんあたりが座っておられるとこんにきに私がが座ってるんです、御本部の。
こっち、御本部の御結界がある。私がお参りさせて頂いて、あそこでお礼させて頂きよったら金光様がお立ちになったんです。あら、金光様がお立ちに、どこか御用のあるのじゃろうかと思ったら、そこんところ下りてからお広前の方に出てこられた。あら、お広前の方へ下りてどうなさるだろうかと私が思うた。そしたらあの、ちょうどあそこは青木さんが座っておる。あの人達のおんなさる所にきに私が座っとったら、ちょうど今信二さんがおるとこんにきでしょうかね、斜め。
ここに私がおるならこの辺に金光様がお座りになったんです。そしてお座りになったその体をこうやって私の方へ向けられたんです。そしてその頭を下げられたんです。もうそれが勿体無いもんですから私がもう金光様、金光様ち言うてその泣き泣いとった。ね、本当にあの時分、19年間という間です、ね。いわば教師ではない信者としてです、お広前の方ですから。信者としてしばらく辛抱して下さいと、ね。
必ず私が申しました、お道の教師になられたらという、それが実現しますと、と言うて下さったんだと私はその時に思いました。金光様が願いござる。金光様が頼んでおられる。ね、そういう願いを私が受けて、そして桂先生の、いわば思いも四神金光様の思いにも添わせて頂いておかげを頂こうという。まあ言うならばですね、まあ誇大妄想狂と言うかも知れませんよ聞く人が聞いたら。
えらいこつばっかり言うと思うかも知れませんけれども、そういう思いを持って、私はお道の教師にならせて頂きました。ね、ですからここで本当に助からなければダメなの。助かると言うてもです、本当にお徳を受けなければダメなんです。ね、それにはです、私が申しました、ね。お徳を受けさせて頂く信心。有り難く頂いて帰れば船にも車にも積めぬほどの神徳があると仰せられる。
その神徳を受ける為に、いよいよ教祖様の教えのまいっちょ向こう。ね、金光様の御信心なあ、お供えせんでもおかげは頂かれる。交換じゃないと仰って、教祖様が仰っておられるからと言うけれども、それはどこまでもおかげの事。けれども、ね。お供え物とおかげはつきものではない、けれども、ね、お徳とはつきものである。ね、そのなぜお徳が受けられるか。それは私共がお供えをする。
それは私の命なのだから、とそういう一生懸命、命をお供えするほどの一生懸命のものがそれに込められなければならない。今まで教団の言われた、御用すりゃ助かる、お供えすりゃ助かる。そういうものとは意味が違う。自分の命をお供えするほどしの一生懸命のものが込められての事なのである。これには必ずお徳がつきものだ、という事をです、私今日初めて分からせて頂いて。
本当に有り難い事だなという風に思わせて頂いた。皆さんがお供えをなさる。それを今日私はハッキリ、ね。私のこの水引にのしつけてね、結局合楽教会としてのお供えになった時に皆さんに例えば不浄があろうが、お粗末御無礼があろうがこれを神様が受けて下さったお知らせを頂いてです、ね、有り難い事だと思うんです。ね、愈々為にはおかげを頂かなければいけません、愈々お徳を受けなければいけません。ね、
そういう一つの勢いを持ってですね、この16日の報徳祭をね、奉仕させて頂きたい。そして、いわば教祖様のお血筋、教祖様の血の繋がりのお方、または教祖様の奥様のいわばお里の、古川家の、今、方がですね、この報徳祭にお出でられるという事は、何か何か大変なおかげを含んでおるように思うんです。それをお迎えする体制をこれから整えて行かなければならんと思うのです。
どうぞよろしゅうお願い致します。